「え ?あんた、選挙なんか行くの?」
と、母に言われたのは、今から20年ほど前のことでした。
当時、私は20代半ば過ぎなのに、選挙に行った事が無く、
「四捨五入したら30だし、選挙に行った事がないなんて、大人としてよくない」と考え、
お母さん、選挙に一緒に行こう。
と母に言うと、
は?あんた、選挙なんか行くの?
アタシ、あんまり行ったことないから分からんわ。
いいわ。
と言われ、「あ…だめだこの母」と思いました。
そしてぼんやり思ったもう一つのことは、
「いつか子どもが出来た時に、同じことを言う母親にはなりたくない」
Contents
ド田舎の農家の家族
![](https://tororo2021.com/wp-content/uploads/2021/10/0fffdf26bd0eaee2d226c0ce308227c7-e1635130102607-1024x805.jpg)
私の生まれたのは、四国の超が付くイナカで、
電車も通らない、山と海に挟まれた村で、
家は農業を営んでおり、米や野菜を育てていました。
そんな田舎の農業生活が退屈なのか、
父は飲んだくれ、母は天然かまってちゃん。
私が話しかけても、アルコールで頭が回らず無言か、
天然トンチンカンな答えで、まともに会話のキャッチボールが出来ない親でした。
そんな家庭環境育ち、コミュニケーション能力の低い私は、
学校や、社会に出てからも、それはそれは苦労しました。
学ぶことを笑う家庭環境
兄妹のいない一人っ子の私は、
祖父母と、母の会話を聞いている子でした。(父は酒で酩酊し、しゃべらない)
我が家ではこんな話をよくしていました。
○○さんとこ、田んぼ売って、娘さんを大学に行かせたのに、
卒業して、ちょっと働いたら結婚したんやってー
せっかく田んぼ売ったのに無駄やったなー(笑)
△△さんとこ、一人息子を市内の学校行かすんやってー
そのまま出ていかれたらどうするんやろねー
「百姓が、学問をしてどうすんだべ」の世界が、
昭和、いえすでに平成になっていた時代なのに、
我が家では、あるあるの考え方だったんです。
それを聴いていた当時の私は、
「市内の高校、ましてや大学なんて、ただ無駄金を使う所なんだ」
と思っていました。
私立に行った友達、慶応義塾大学に進学したイトコ
![学校](https://tororo2021.com/wp-content/uploads/2021/12/294693_s.jpg)
ところが、小学校を卒業し、みんな同じ中学に行くと思っていたら、4,5人いません。
なんと、ド田舎から中学受験に合格し、寮生活を始めたというじゃありませんか。
「地元以外の中学」こんな選択があるなんて知らなかった私は仰天したものです。
そして私が近所の高校に入学すると、
さらに半分の同級生が村の外の学校へ進学し、
さらに、従兄も、いつの間にやら市内の高校を卒業し、
東京の慶応義塾大学に入学しているではないですか!
私が、目的もなく、ただぼーっと高校生活を送っていた間に、
みんなちゃんと考えて、親と話をし、
自分の進路を決めて前に進んでいるではないですか!
選挙に行こうとした私を鼻で笑った母
![](https://tororo2021.com/wp-content/uploads/2021/10/9eb1341d02b60e28ba1a9c727a31b61c-1024x576.jpg)
気づけば高校も卒業し、
飲んだくれだった父は、日々の大量アルコール摂取が祟り、帰らぬ人に。
母は、舅、姑の面倒は、父の兄夫婦に任せて、
実姉の住む奈良に移住。父の保険金とパートの収入で生活を始めました。
先に大阪に出てきていた私も、一緒に暮らし始めました。
そして、「25も過ぎたのに、選挙に行ったことがないなんて恥ずかしい」
と思い立った私は、母を選挙に誘い、
衝撃の一言を聞きました。
「え?あんた、選挙なんかいくの(笑)アタシも何年も行ってないから分からんわ」
どん引きしました。
うわあ、こんな親やったかあ…
それと同時に思ったのは、
「私は、自分の子どもにこんな事を言う親になりたくない」
そして、「もっと自分から学ぶべきだった、ボーっと生きている場合ではなかった」
と、恐ろしいほどの後悔に、今更ながら打ちのめされました。
ちゃんと進学を考えて、田舎を発って行った同級生たちは、
それぞれ、田舎では大手の会社、銀行につとめ、
もう家庭をもっている人も。
同じド田舎から慶応を卒業したイトコは、
東京でバリバリ働き、マイカーを買い、
ついでに、ガタガタだった歯並びを、自力で治している。
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(その後、東京にマンションを買い、専業主婦の奥さんと3人の子どもを育てている。)
かたや、私は、学歴も無く、教養もなく、
汚い字で書いた履歴書でなんとか就職しても、ブラック企業だったり、
根気がなくて続かなかったり。
ちゃんと、もっと考えるべきだった。
学ぶことを笑う家を疑問に思うべきだった。
自分で考えて、自分で行動するべきだった。
生まれた息子に良い学びを、しかし私にできるのか?
![手を繋ぐ](https://tororo2021.com/wp-content/uploads/2022/01/3383931_s.jpg)
その後、結婚し、高齢出産で産まれた息子は、可愛く。
幸せにしてあげたいと思いました。
もう一つ、幼稚園に入ってよくわかったのが、
うちの子は、運動が出来ない子でして。
運動できないなら、
勉強を身に付けさせよう。
と思いました。
とはいえ、私自身が大した学びを身に付けているわけではなく、
教えてあげられることが、偏った事にもなるんじゃないかと不安でした。
そこで、考えたのは、
良い学校、良い環境に身を置き、
そこで、優秀な先生から学び、友人と知識を共有し、
彼の世界を広げるチャンスを作ってあげよう。
ということでした。
お金はかかるけど、プロにまかせる
年少の冬に公文に入室したものの、1カ月でやめてしまい、
ちょっと落ち込んでいるところに出会ったのが
まぶちキッズクラブでした。
良い教室で、先生の子どもに対する物腰や、考え方はとても勉強になりました。
現在は馬渕中学受験コースでがんばっています。
お金はかかります。
夫も三流大学出で、そんなに良い給料ではないので、決して余裕ではありません。
けれど、なおさら、
私も夫も、学びは必要だと、身に染みて分かっています。
そして、自力では特殊な中学受験勉強というものは、対応できないことも分かっていました。
「お金は多少かかっても、プロにお願いしよう」
夫婦同じ意見でした。
下剋上受験の、中卒お父さんは、仕事を辞めて、塾なしで娘さんを中学受験させました。
とても参考になりますし、勇気ももらえます。
(阿部サダヲさん主演でドラマ化もされました。)
受験を終えた娘さんの、手記はウルっと涙します。
「勉強しなさい」だけでは分からなかった幼少期
![](https://tororo2021.com/wp-content/uploads/2021/10/IMG_4615979.jpg)
(子どもの勉強スケジュール帳)
そんな夫と私は、息子に「勉強しなさい」と、ざっくり言わないようにしています。
幼少期に、ただ「勉強しなさい」とだけ言われ、
具体的にどうすればよいのか、よく分からなかったからです。
特に私の田舎の家は、進学することを笑う家だったので、
勉強することがなんのためになるのか理解できずでした。
なのに、時々思い出したように「勉強しなさい」という母に矛盾を感じていました。
大人になって、母にこう聞いたことがあります。
勉強しなさいとか、手に職をつけなさいって、
私に言ってたけど、それって具体的にどういうことすればよかったの?
すると母は、とても動揺した様子で、
そ、それは、自分で考えてくれないと…
ゴニョニョ…
と言っていました。
深く考えず、口先だけで言っていたんだなと、よくわかりました。
が、
一番悪いのは、親と祖父母が言っていることを鵜呑みにして、
自発的に行動しなかった私です。
けれど、世の中を知らない幼い子供に、自分の道を考えさせるのは、難しい話です。
私も夫も、「勉強させるなら、具体的に、分かりやすい道を話してやろう」と思いました。
勉強しなさいを具体的に
今、息子は「恐竜博士になりたい」と言っています。
親的には、確実に稼げる仕事について欲しいのですが、
「僕、大企業に就職して、英語ぺらっぺらで、海外出張して、
お金持ちになって、老後は苦労せずに暮らしたいんだー」
と小学生に言われてもコワイです。
恐竜博士、子供らしくていいじゃありませんか。
そんなわけで、
じゃあ、恐竜博士になりたいなら、
地質学研究をしている先生がいる大学に行かなくちゃね。
君が行きたいと思った大学、どこでも選べるように、
今から準備しておこうね。
と、大筋の目標は話しています。
そして、目の前のやるべきことを、スケジュールにしています。
結局は、毎日続けることだと思います。
けれど、これを子どもが一人で管理できるわけではありません。
自分で出来るようになるまで、親が自分の時間を割き、子どものために行動しなくてはいけません。
「勉強しなさい」と、口先だけで言わず、
やるべきことを明確に示し、子どもが自発的にできるようになるまでサポートしてあげるのが、今私たちにできる事。
自分たちは、「何を、どうすればいいかわからない」そんな不安を持った子供たちだったから、
息子には、ワクワクする未来を夢見てもらいたいと思うのです。
私たち親が前のめりのになりすぎないようにも
気を付けています。
浜学園 学園長の橋本憲一さんも
著書でこうおっしゃっています。
子どもが高いポテンシャルを持っているのに、
それを潰してしまう2つのタイプがあります。ひとつは、子どもにまったく無関心な親。
引用元 灘中に合格する子は学力のほかに何を持っているのか: ワンランク上の志望校に受かるための能力と習慣
もうひとつは、子どものことに過剰に熱心な親です。
過剰になりすぎないように
気を付けます汗。
色々苦労したけど、親には長生きしてほしい
父も母も変わった人で、
いわゆる世間知らずな人間でした。
けれど、2人とも、5人姉弟の末っ子で、
戦争で大変な目にあい、満州からやっとの思いで帰った家族の末っ子で生まれた両親は、
きっと、平和と幸せの象徴で、
家族みんなを幸せにした、すごい存在だったんだろうなと思います。
私ももうじき50になります、親のせいで苦労したという話は
もうネタ程度にしておいて、
母には、これからも、のんびり楽しく、長生きしてくれたらいいなと心から思います。
子どもの選挙デビューは一緒に
![](https://tororo2021.com/wp-content/uploads/2021/07/4911684_s.jpg)
政治や選挙のことを偉そうに語ることは、今でも到底できませんが、
よっぽどの理由が無い限り、必ず選挙に行きます。
時々こどもを連れていくこともあります。
彼が選挙権を得た時は、記念に親子で票を入れに行きたいと、
まだまだ先の未来を想像しています。
その時の彼が、どんな大人になっているか楽しみです。
幸せになってもらえるよう、出来る限りがんばります。
だからちょっと怒った時も、母の愛を感じて理解してほしいです。ハイ。
あまり怒らない様に努力はします。
というわけで、
学もない田舎育ちの私が、
子どもに中学受験をさせようと思ったきっかけは、
「選挙?いかないよ?」の母の衝撃の一言からだった。
という話でした。
今週末はまた選挙、ちゃんと行きますよ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
とろろでした。
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【この記事を書いた人】
とろろ (アラフィフ一児の母)
四国の超絶イナカの公立高校卒業。
同じ田舎から、慶応義塾大学に進学したイトコと、その家庭と叔母を隣で見続ける。
高齢出産で産んだ我が子は、どんくさく、運動もダメ。
それなら、叔母のように、子どもに学びを身に付けさせようと決意し5年。
中学受験を目指し、塾や家庭学習の事を書いています。
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