「え ?あんた、選挙なんか行くの?」
と、母に言われたのは、今から20年ほど前のことでした。
当時、私は20代半ば過ぎなのに、選挙に行った事が無く、
「四捨五入したら30だし、選挙に行った事がないなんて、大人としてよくない」と考え、
お母さん、選挙に一緒に行こう。
と母に言うと、
は?あんた、選挙なんか行くの?
アタシ、あんまり行ったことないから分からんわ。
いいわ。
と言われ、「あ…だめだこの母」と思いました。
そしてぼんやり思ったもう一つのことは、
「いつか子どもが出来た時に、同じことを言う母親にはなりたくない」
Contents
ド田舎の農家の家族
私の生まれたのは、四国の超が付くイナカで、
電車も通らない、山と海に挟まれた村で、
家は農業を営んでおり、米や野菜を育てていました。
そんな田舎の農業生活が退屈なのか、
父は飲んだくれ、母は天然かまってちゃん。
私が話しかけても、アルコールで頭が回らず無言か、
天然トンチンカンな答えで、まともに会話のキャッチボールが出来ない親でした。
そんな家庭環境育ち、コミュニケーション能力の低い私は、
学校や、社会に出てからも、それはそれは苦労しました。
学ぶことを笑う家庭環境
兄妹のいない一人っ子の私は、
祖父母と、母の会話を聞いている子でした。(父は酒で酩酊し、しゃべらない)
我が家ではこんな話をよくしていました。
○○さんとこ、田んぼ売って、娘さんを大学に行かせたのに、
卒業して、ちょっと働いたら結婚したんやってー
せっかく田んぼ売ったのに無駄やったなー(笑)
△△さんとこ、一人息子を市内の学校行かすんやってー
そのまま出ていかれたらどうするんやろねー
「百姓が、学問をしてどうすんだべ」の世界が、
昭和、いえすでに平成になっていた時代なのに、
我が家では、あるあるの考え方だったんです。
それを聴いていた当時の私は、
「市内の高校、ましてや大学なんて、ただ無駄金を使う所なんだ」
と思っていました。
私立に行った友達、慶応義塾大学に進学したイトコ
ところが、小学校を卒業し、みんな同じ中学に行くと思っていたら、4,5人いません。
なんと、ド田舎から中学受験に合格し、寮生活を始めたというじゃありませんか。
「地元以外の中学」こんな選択があるなんて知らなかった私は仰天したものです。
そして私が近所の高校に入学すると、
さらに半分の同級生が村の外の学校へ進学し、
さらに、従兄も、いつの間にやら市内の高校を卒業し、
東京の慶応義塾大学に入学しているではないですか!
私が、目的もなく、ただぼーっと高校生活を送っていた間に、
みんなちゃんと考えて、親と話をし、
自分の進路を決めて前に進んでいるではないですか!
選挙に行こうとした私を鼻で笑った母
気づけば高校も卒業し、
飲んだくれだった父は、日々の大量アルコール摂取が祟り、帰らぬ人に。
母は、舅、姑の面倒は、父の兄夫婦に任せて、
実姉の住む奈良に移住。父の保険金とパートの収入で生活を始めました。
先に大阪に出てきていた私も、一緒に暮らし始めました。
そして、「25も過ぎたのに、選挙に行ったことがないなんて恥ずかしい」
と思い立った私は、母を選挙に誘い、
衝撃の一言を聞きました。
「え?あんた、選挙なんかいくの(笑)アタシも何年も行ってないから分からんわ」
どん引きしました。
うわあ、こんな親やったかあ…
それと同時に思ったのは、
「私は、自分の子どもにこんな事を言う親になりたくない」
そして、「もっと自分から学ぶべきだった、ボーっと生きている場合ではなかった」
と、恐ろしいほどの後悔に、今更ながら打ちのめされました。
ちゃんと進学を考えて、田舎を発って行った同級生たちは、
それぞれ、田舎では大手の会社、銀行につとめ、
もう家庭をもっている人も。
同じド田舎から慶応を卒業したイトコは、
東京でバリバリ働き、マイカーを買い、
ついでに、ガタガタだった歯並びを、自力で治している。
(その後、東京にマンションを買い、専業主婦の奥さんと3人の子どもを育てている。)
かたや、私は、学歴も無く、教養もなく、
汚い字で書いた履歴書でなんとか就職しても、ブラック企業だったり、
根気がなくて続かなかったり。
ちゃんと、もっと考えるべきだった。
学ぶことを笑う家を疑問に思うべきだった。
自分で考えて、自分で行動するべきだった。
生まれた息子に良い学びを、しかし私にできるのか?
その後、結婚し、高齢出産で産まれた息子は、可愛く。
幸せにしてあげたいと思いました。
もう一つ、幼稚園に入ってよくわかったのが、
うちの子は、運動が出来ない子でして。
運動できないなら、
勉強を身に付けさせよう。
と思いました。
とはいえ、私自身が大した学びを身に付けているわけではなく、
教えてあげられることが、偏った事にもなるんじゃないかと不安でした。
そこで、考えたのは、
良い学校、良い環境に身を置き、
そこで、優秀な先生から学び、友人と知識を共有し、
彼の世界を広げるチャンスを作ってあげよう。
ということでした。
お金はかかるけど、プロにまかせる
年少の冬に公文に入室したものの、1カ月でやめてしまい、
ちょっと落ち込んでいるところに出会ったのが
まぶちキッズクラブでした。
良い教室で、先生の子どもに対する物腰や、考え方はとても勉強になりました。
現在は馬渕中学受験コースでがんばっています。
お金はかかります。
夫も三流大学出で、そんなに良い給料ではないので、決して余裕ではありません。
けれど、なおさら、
私も夫も、学びは必要だと、身に染みて分かっています。
そして、自力では特殊な中学受験勉強というものは、対応できないことも分かっていました。
「お金は多少かかっても、プロにお願いしよう」
夫婦同じ意見でした。
下剋上受験の、中卒お父さんは、仕事を辞めて、塾なしで娘さんを中学受験させました。
とても参考になりますし、勇気ももらえます。
(阿部サダヲさん主演でドラマ化もされました。)
受験を終えた娘さんの、手記はウルっと涙します。
「勉強しなさい」だけでは分からなかった幼少期
(子どもの勉強スケジュール帳)
そんな夫と私は、息子に「勉強しなさい」と、ざっくり言わないようにしています。
幼少期に、ただ「勉強しなさい」とだけ言われ、
具体的にどうすればよいのか、よく分からなかったからです。
特に私の田舎の家は、進学することを笑う家だったので、
勉強することがなんのためになるのか理解できずでした。
なのに、時々思い出したように「勉強しなさい」という母に矛盾を感じていました。
大人になって、母にこう聞いたことがあります。
勉強しなさいとか、手に職をつけなさいって、
私に言ってたけど、それって具体的にどういうことすればよかったの?
すると母は、とても動揺した様子で、
そ、それは、自分で考えてくれないと…
ゴニョニョ…
と言っていました。
深く考えず、口先だけで言っていたんだなと、よくわかりました。
が、
一番悪いのは、親と祖父母が言っていることを鵜呑みにして、
自発的に行動しなかった私です。
けれど、世の中を知らない幼い子供に、自分の道を考えさせるのは、難しい話です。
私も夫も、「勉強させるなら、具体的に、分かりやすい道を話してやろう」と思いました。
勉強しなさいを具体的に
今、息子は「恐竜博士になりたい」と言っています。
親的には、確実に稼げる仕事について欲しいのですが、
「僕、大企業に就職して、英語ぺらっぺらで、海外出張して、
お金持ちになって、老後は苦労せずに暮らしたいんだー」
と小学生に言われてもコワイです。
恐竜博士、子供らしくていいじゃありませんか。
そんなわけで、
じゃあ、恐竜博士になりたいなら、
地質学研究をしている先生がいる大学に行かなくちゃね。
君が行きたいと思った大学、どこでも選べるように、
今から準備しておこうね。
と、大筋の目標は話しています。
そして、目の前のやるべきことを、スケジュールにしています。
結局は、毎日続けることだと思います。
けれど、これを子どもが一人で管理できるわけではありません。
自分で出来るようになるまで、親が自分の時間を割き、子どものために行動しなくてはいけません。
「勉強しなさい」と、口先だけで言わず、
やるべきことを明確に示し、子どもが自発的にできるようになるまでサポートしてあげるのが、今私たちにできる事。
自分たちは、「何を、どうすればいいかわからない」そんな不安を持った子供たちだったから、
息子には、ワクワクする未来を夢見てもらいたいと思うのです。
私たち親が前のめりのになりすぎないようにも
気を付けています。
浜学園 学園長の橋本憲一さんも
著書でこうおっしゃっています。
子どもが高いポテンシャルを持っているのに、
それを潰してしまう2つのタイプがあります。ひとつは、子どもにまったく無関心な親。
引用元 灘中に合格する子は学力のほかに何を持っているのか: ワンランク上の志望校に受かるための能力と習慣
もうひとつは、子どものことに過剰に熱心な親です。
過剰になりすぎないように
気を付けます汗。
色々苦労したけど、親には長生きしてほしい
父も母も変わった人で、
いわゆる世間知らずな人間でした。
けれど、2人とも、5人姉弟の末っ子で、
戦争で大変な目にあい、満州からやっとの思いで帰った家族の末っ子で生まれた両親は、
きっと、平和と幸せの象徴で、
家族みんなを幸せにした、すごい存在だったんだろうなと思います。
私ももうじき50になります、親のせいで苦労したという話は
もうネタ程度にしておいて、
母には、これからも、のんびり楽しく、長生きしてくれたらいいなと心から思います。
子どもの選挙デビューは一緒に
政治や選挙のことを偉そうに語ることは、今でも到底できませんが、
よっぽどの理由が無い限り、必ず選挙に行きます。
時々こどもを連れていくこともあります。
彼が選挙権を得た時は、記念に親子で票を入れに行きたいと、
まだまだ先の未来を想像しています。
その時の彼が、どんな大人になっているか楽しみです。
幸せになってもらえるよう、出来る限りがんばります。
だからちょっと怒った時も、母の愛を感じて理解してほしいです。ハイ。
あまり怒らない様に努力はします。
というわけで、
学もない田舎育ちの私が、
子どもに中学受験をさせようと思ったきっかけは、
「選挙?いかないよ?」の母の衝撃の一言からだった。
という話でした。
今週末はまた選挙、ちゃんと行きますよ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
とろろでした。
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【この記事を書いた人】
とろろ (アラフィフ一児の母)
四国の超絶イナカの公立高校卒業。
同じ田舎から、慶応義塾大学に進学したイトコと、その家庭と叔母を隣で見続ける。
高齢出産で産んだ我が子は、どんくさく、運動もダメ。
それなら、叔母のように、子どもに学びを身に付けさせようと決意し5年。
中学受験を目指し、塾や家庭学習の事を書いています。
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